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*藤袴 -thoroughwort-*

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「「麻衣っ(さん)!!!」」
突然聞こえた声に真砂子とジョンが驚いて叫ぶ。
今まで倒れていたはずの麻衣が起き上がり、静かに男を見つめていた。
「ナルに感情がないとでも思ってるの? 痛みを感じないとでも思ってるの? だとしたら、アナタは愚か者以外の何者でもない」
真っ直ぐと据えられた視線は強く美しい。
それだけを告げると麻衣は男を放置しナルの元へと向かった。
「ナル」
麻衣は静かに呼び掛けてナルの直ぐ傍に膝を付く。
「ナル」
もう一度名を呼び、そっと背中に触れる。蹲ったままだったナルが僅かに顔を上げる。
「.....ま、ぃ?」
「そうだよ....ナル」
再度、呼び掛ける麻衣の声に誘われるように、ゆっくりとナルが身体を起こす。
ガタガタと揺れる窓の音が少し緩まった気がする。
「....っ、はぁ」
苦しそうに息を吐いたナルを麻衣が抱き締める。
「大丈夫......大丈夫だよ......」
静かに囁きながら背中に腕を回し優しく撫でる麻衣。その麻衣の肩に額を置き瞳を閉じるナル。
「大丈夫.....大丈夫......大丈夫」
時折、ポンポンと宥めるように背中を叩きながら、ただ “大丈夫” を繰り返す麻衣。
やがて “はぁぁ” っという大きな溜め息と共に、強張っていたナルの身体から余計な力が抜けた。
その事に、麻衣も詰めていた息を吐き出す。

「.....麻衣?」
恐る恐る声を掛けたのは真砂子。その小さな声に振り返った麻衣はただひと言 “大丈夫” と笑った。
その笑顔に、一同も “ほっ” と息を吐いた。しかし、視線を真砂子から男へと動かした麻衣の瞳に浮かぶのは激しい怒り。
「猟奇殺人犯が使ったナイフで、ナルにその犯行と、犯人が自殺する瞬間を視せたでしょう」
男を睨み付けながら言った麻衣の言葉に、真砂子たちが息を呑む。
「ほぅ」
薄ら笑いを浮かべると、男は実に興味深げに麻衣を見た。

「私はあなたを絶対に許さない」

「くくっ...これは、過去を思い出させる言葉ですねぇ...かつて私にその言葉を吐いた子供がおりましたよ。その所為で博士には手を出し難くなりましてね。実に迷惑な子供でしたよ」
“やれやれ” とわざとらしく嘆く男に、いくつもの怒りの視線が向けられる。
ジョンと安原は、真砂子とナルを支えたままの麻衣の前に割って入り、リンと滝川がいつでも男を捕えられるように身構える。
そんな彼らの行動を見た男は嫌そうに眉を顰めた。
「やっと居なくなったと思ったら、もっと厄介なのが周りを固めているらしい」
男の吐いた言葉に全員の動きが止まった。
「や....っと、居なく....なっ、た?」
「そうさ! 遥か東方の島国で死んだと聞いて、やっと俺にもチャンスが巡ってきたと思ったんだ!」




全身に震えが走るのは怒りの所為だろうか?
それとも悲しみの所為だろうか?
止まっていた涙が再び溢れ出すのを麻衣は止められなかった。

バキッっ!!!
鈍い音が響き渡った。
今まで薄ら笑っていた男が盛大な音を立てて床に倒れ込む。
「二度と、ナルや俺たちの前に顔を出すな」
肩で息をする事で激しい怒りを押さえ込み、滝川は静かに告げる。
周囲が息を呑んだが、滝川の行動を咎めるものは居ない。
「っ....随分と、野蛮な事をして下さいますね?」
殴られた頬を押さえながら男が起き上がった。恨みがましい目で睨むも、滝川はそんな事では動じない。
「野蛮? ....ふん! 俺の一撃なんぞ、お前がナルやジーンにした事から見れば可愛いもんだ!! その程度の傷なんぞ時間が勝手に治してくれらっ!!!」

「その辺りにしておいてもらおう」

激高した滝川の言葉の後に聞こえたのは静かな声。
振り返れば、ビルフォード卿に支えられ立ち上がったドリー卿の姿があった。
「実に聞くに堪えぬ言葉が耳に入ったのだが?」
「おぉ! これはドリー卿! そうでしょう! そうでしょう! この日本人ときたら突然殴り掛かってきて、まったく野蛮な事を....」
卿の言葉に我が意を得たりと男は語り出す。
「言いたい事はそれだけかね?」
突き放すような声に、男の口が止まる。
「ドリー卿...?」
「言いたい事が終わったのなら出て行きたまえ」
「っな、ドリー卿!!」
「君の私の客人に対する暴言の数々、ここに居る全員が証人だ。この意味は判るね?」
焦った様に声を上げる男に一切の弁解を与えないドリー卿。一瞬にして青褪めた男はパクパクと金魚のように口を開くのみ。
「判ったのなら出て行きたまえ」
その言葉を最後に、男はSPにつまみ出された。



「不快な思いをさせて申し訳ない」
元凶が居なくなった事で、呆然としていた一同はドリー卿の言葉に “はっ” とした。
「あ、えーっと。お騒がせしてすみません」
大声で叫んだ記憶のある滝川が、気まずそうに謝る。
「Mr. タキガワが謝られる必要はありません。主催するレセプション会場にあのような者を入れてしまった私どもの不手際です。申し訳ない」
そう言うと卿は一同に向かって頭を下げた。
「オリヴァー? マイ? 2人とも大丈夫かね?」
「私は大丈夫です。ちょっと呼ばれただけですから」
心配そうな卿の言葉に麻衣は笑いながら答えるが、その顔には少し憂いが浮かんでいる。
「ナル?」
「......問題、ない」
「でも...」
未だに麻衣の肩に額を預けたままの体勢のナル。おそらく腕を動かす事さえ億劫なのだ。
「疲れた」
「うん....お疲れ様」
麻衣の背中に回している手に、ギュッと力を篭めるナル。
不可抗力とはいえ、PKを使ったに等しいのだろう、身体が休息を要している。
「良いよ、休んで」
柔らかい髪を撫でながら促せば、僅かに頷く気配がする。
腕はそのままに、篭められた力のみが緩くなる。





 

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「.....マイ?」
「ふふ。寝ちゃいました」
「寝た? ......オリヴァーが人の気配のあるところで?」
麻衣の言葉に滝川たちは安堵し、ドリー卿はとても驚いた。
ぱちくりと瞳を大きく瞬かせたあと “それは凄い” と笑った。
「この度は申し訳なかった。皆さんはホテルへ、オリヴァーとマイは家に責任を持ってお送りしよう。ルエラとマーティンも一緒に送ろう」
そうして、ドリー卿の手配したSP数人により担架に乗せられた麻衣とナルはレセプション会場を後にした。




「彼女はまるで Cynthia のようだね」
一人の紳士の呟いた声は、しんと静まり返っていたホールに良く響いた。
「キュンティア?」
隣りに居た友人らしき人物が不思議そうに訊ねると、人々の視線を一身に浴びた男はこう返した。
「月の女神、ダイアナの別称さ。ところで、さっきの男はどこに行ったのかな?」
「どうした?」
「私の前であの娘(こ)を泣かせたんだ。それ相応の報いは受けてもらおう」




<おまけ>


「離れないわね」
「離れませんわね」
「サイですね」
「ナル、あなたって人は......はぁ」
「あらあらあらあらあら♪」
「まぁ♪」
「おやおや」
「うぅ......麻衣ぃ〜〜」
「まぁまぁ、滝川さん。仲睦まじいのは良い事じゃないですか」
ディビス家に戻った一行。
ナルと麻衣が心配だった滝川たちはホテルに戻る途中にわざわざ運転手に頼んでディビス家に寄ってもらったのだ。
で、最初の発言。判るとは思うが上から、綾子、真砂子、ジョン、リン、まどか、ルエラ、マーティン、滝川、安原の順だ。
彼らがどこに居て、何をしているのかと言うと...

車からSPに担架ごと運び込まれたナルと麻衣。
2人とも眠ってしまったのでルエラがそのままナルの部屋に運んでもらったのだ。
もちろん抱き締め合ったまま、ベッドの上に.....
普段は傲岸不遜な青年が、世間で言う彼女である麻衣を抱き締め、年相応の顔で眠っているのは微笑ましい。
一行は、そんな2人を部屋の外から出刃亀しているのだ。
気配に敏感なはずのナルがピクリとも動かないので、かなりの負担が身体に掛かったという事が判るので滝川も叩き起こす事が出来ないでいるのだ。
「......」
「ほら! いつまで辛気くさい顔してんのよ? ホテルに戻るわよ!」
「ま〜い〜ぃ〜」
「そろそろ子離れしないと後々大変ですよ? おとーさん」
「後々って何だよ〜、少年」
「そんなの、娘さんを嫁に出す時に決まってるじゃないですか♪」
「ま”ーーーい”ーーーーーー」
「煩い!!」
安原の言葉に猛然と叫ぶ滝川。そして一声で黙らせる綾子。
滝川の首根っこをがしっと掴み、ズルズルと引き摺って玄関へ向かう。
途中ちゃんと、ルエラとマーティンに “お騒がせしました” と頭を下げて彼らは帰って行った。


「くすくすくす、ナルはもう心配いらないね? ルエラ」
「えぇ。マイと皆さんのお陰ね」
「マイは何が好きなのかな?」
「あら? 贈り物でもするの、マーティン?」
「娘にプレゼントを贈るのが夢だったんだ」
「素敵♪ じゃぁ、私は何を贈ろうかしら」
「楽しみだね」
「えぇ、楽しみだわ」
幸せそうに笑い合った2人は、寄り添って眠る愛する子供たちに更に笑みを深める。


「「Good night Oliver, Good night Mai」」



end  





ー あとがき ー
連載、第2弾「Cynthiaの守護」完結いたしましたー☆
色々伏線を張っておりますのがそれは、まぁ追々。
書いてる途中であの男に本気でムカついてきた朽葉ですが何とか書き上げました。ぼーさんの一撃に、スカっとされた方も多かったのではないでしょうか?今回もお付き合い下さいました方ありがとうございます。
実は一番最初に思い付いた文章は「彼女はまるで月の女神の様だね」だったりします。
で、月の女神を別の言い方に出来ないかと調べて、ダイアナ、アルテミス、セレネ、ルナ、ディアナ...色々あったんですがどれも(=麻衣ってのに)ピンと来なくて...
“シンシア” を “キュンティア” と呼べる事を発見し、コレだ!!と飛び付きました。
マイ=キュンティア ね、可愛いでしょ♪
今回は調査ものでなく、ナル麻衣要素を詰め込めるだけ詰め込んでしまおうと思ったんですが、一番美味しいとこは皆、ドリー卿な気がします(笑)
自称パパも評価が上がったかしら?
欲張って人を出し過ぎたなーとちょっと反省したり。何はともあれ、読んで下さった皆様、ありがとうございましたー☆




 

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ある月の綺麗な夜
ふと思い立った姫は女房にバレぬよう簀子(すのこ)に出、ひとり月を眺めていた


家人も寝静まり、聴こゆるは風の音(ね)ばかりなり
しかしその静かな空間を破る者が現れた
ザッと音がしたかと思えば築地(ついじ)の上に影が差し月を遮った
そしてその影はそのまま屋敷の中、庭の隅に降り立った
月明かりに照らし出されしは濃紺の直衣(なおし)をまといし若君
その顔(かんばせ)は実に麗しくその光景に姫はしばし見蕩れていた

しかし若君の肩に浮かぶ朱色の染みを見付け眉をひそめた

「どうしたの、それ?」

家人に聴こえぬ様、やや潜めた声音で訊ねる姫

「お前には関係ない」

姫の杞憂など関係なく実に素っ気なく応えを返す若君

「人の家に勝手に入っておきながら?」
「.....」

しかし返された姫の正論に反論など出来るはずもなく押し黙る
そんな若君を見つめていた姫は、小さく息を零した

「こちらへ」

対屋(たいのや)へ促す姫の言葉に眉をひそめたのは若君

「その怪我じゃ帰るに帰れないでしょう?」

それだけ言うと姫は御簾(みす)の向こう側へ消えた
数瞬、躊躇ったものの姫の言葉に従う若君
しかし御簾の内側へと足を進めたが、そこに姫の姿は無かった
どうしたものか? と突っ立っていると、部屋の奥の御簾が揺らいだ
現れた姫の手には薬箱
どうやらそれを取りに行っていた様だ

「こっちに座って」

姫に進められるまま燭台近くの円座に腰を降ろす

「肩は出せる?」

首を傾け訊ねる姫に頷き直衣と袿(うちき)を脱ぐ

「血が....」

新たに流れ出た血に姫は慌てて傷口を布で押さえる

「何をどうしたらこんな怪我するのよ?」

小さな声で文句を言いながらも、貴族の姫とは思えぬ手際の良さで止血し包帯を巻き終えた

「良し。これで血は出ないと思うけど、どう?」

清潔な包帯を巻き終えた肩はしっかりと固定され痛みも殆ど無い


「助かった....ありがとう」


脱いだ袿を着込みながら言われた言葉に姫は瞳を瞬かせた

「どういたしまして」

そう言うと花が綻ぶように姫は笑った
そして “少し待ってて” と言うと薬箱を手に奥へと消えた




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「変わった姫だ」

ようやく一息付けた若君は興味深げに部屋の中を見渡した
そう言えばここは何処の屋敷だろうか?
調度品を見る限りかなり身分の高い家な事は間違い無い
しかし身分の高い家の姫がどこの誰だか判らない者(=自分)
しかも男を自室に軽々しく招き入れて良いものだろうか?

否、良いはずはない

だからこそ姫、自ら薬箱を取りに行ったりしているのだろう
しばらくして戻って来た姫の手には水差しと濡れた手拭い、そして男物の直衣が一枚あった

「これは?」
「顔にも血が付いてるから」

そう言うとまず手拭いを渡された
顔を拭き終われば水差しを差し出される

「別に喉は渇いていないが?」
「だめ! そんなに血を流したんだから」

ムッと顔を顰めた姫は自分が白湯を飲むまでは引き下がらないらしい
小さく溜め息を吐き、水差しを受け取る
半分ほど飲んだ所で気になっていた直衣に目を向ける
その視線に気付いたのか姫は苦笑し肩の赤い染みを指して言う

「余計かもしれないけど見られたら面倒でしょ、それ」
「僕が着ても?」

と訊ねれば “父の物だから” と返される
確かにこのまま家に帰れば煩わしい事になるだろう

「では借り受ける」

そう行って直衣を羽織り立ち上がる

「帰るの? 大丈夫?」

掛けられた声に若君が振り向けば少し心配そうな姫の面差しがあった

「あぁ。誰かに見られては面倒だ」
「そうだね....」

小さく納得した姫に若君はそっと近づき膝を折る

「姫、名は?」
「へ?」

呆けた姫の声に若君は再度訊ねる

「名は?」
「ま...麻衣」

吸い込まれそうなほど深い若君の瞳に見つめられた姫は何とか応えを返す

「麻衣、今日は助かった。礼は後日」

そう言うと若君は姫の髪を一房掬い口付けを落として出て行った
残された姫の顔が首筋まで赤く染まっていた事は言うまでもないだろう




「な、な、なにアレ。あの顔であんな事するなんて.......反則だ」



完  

 

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ある大きな屋敷
裏門から人知れず戻られた若君が細殿(ほそどの)に差掛かった時
若君の目の前に人の影が射した

「あら? お帰りなさい」

思わず身構えた若君の前に現れたのは、袿(うちき)姿の女人
扇で隠された口元には悪戯な笑みが浮かんでいる

「来ていたのか」
「北の台...母君に反物を届けに来たのよ」
「わざわざ来なくても雑色(ぞうしき)なりに言付ければ良いだろう」

呆れた様に溜め息を吐かれた若君に対し女人は扇を返して問い掛ける

「そう言うあなたは、今まで何処に?」

明らかに笑いを含んだ問いかけに自然若君の表情が険しくなる
射るようなとは正にこの事であろう視線を悠然と受け止めた女人は
黙ったままの若君にさらなる一手を加える

「その直衣(なおし)どこのどなたの物なのかしら?」

にっこりと形容するしか無い笑みを浮かべた女人は
有無を言わせず若君を部屋に引き摺り込んだ



「で、どうしたのよ?」

瞳を爛々を輝かせながら訊ねるのは先ほどの女人
若君の母の友人で名を “まどか” と言い、通り名は花桜(かおう)の姫
好奇心が強く自身が納得するまで引き下がる事は無い
若君は女人に聞こえぬよう “面倒な事になった” と呟いた

「借り受けた」
「誰に?」
「世話になった屋敷の者に」
「世話って何の?」
「.....」

嘘を付く事を良しとしない性格の所為か嘘の付けない若君は押し黙る
怪我をしたと知れれば父母共に心配させてしまう

「まぁ良いわ、その事は聞かないであげる」

女人の言葉に安堵したのも束の間

「変わりに教えて頂戴。その直衣、どこの姫にもらったの?」




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「女人に一切目を向けず、仕事意外に興味無し!そんな唐変木にも春が来たのねぇ...明日は祝いの宴でも設けましょうか?」
「まどか」
「あら、照れなくても良いじゃない」

口元に扇を翳しコロコロと鈴を転がすように笑うまどか姫
そんな姫に何を言っても無駄だと悟られた若君は早々に姫の部屋を退出しようとした
しかし姫が許すはずもなく呆気なく退路を塞がれる

「どちらの姫?」
「はぁ.........知らない」
「知らない?」
「ちょっと隠れようと思って目に付いた屋敷の庭に入ったら、簀子に居たんだ」
「......簀子に? 貴族の姫君が?」

諦めたような溜め息を吐き正直に答えた若君
しかし、その内容にまどか姫が目を瞬かせる

「変わった姫だった」
「へぇ〜......では、その直衣に隠された怪我の手当もその姫が?」
「あぁ」
「そこの女房どのにもご迷惑をお掛けしたのね....」

後日、御礼に向かわないといけないわね、と考えていたまどか姫
しかし若君の言葉に再び目を見張った

「いや、誰も居なかった」
「......姫、自ら?」
「薬箱やら水やら、持って来たのは姫だったな」
「ち、ちなみにドコで手当を?」
「姫の部屋、だと思うが?」
「....几帳越しに?」
「無理に決まっているだろう」
「そうよね.........あ、歳は?」
「僕より少し下だと思うが」


「二条の辺りだったと思う。調度品を見る限りかなり身分の高い家だとは思うが」
「.......二条、身分が高くて、あなたより年下の姫、ねぇ」


まどか姫はそう呟くと「もういいわ。おやすみなさい」と若君を送り出したのであった




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※注意※若君と姫君は幾度か逢瀬を重ねて仲良くなったあとの設定です





「もうすぐ乞巧奠(きっこうでん)だね」
「...............あぁ、宮中では中々忙しそうではあるな」

静かに書物を読む若君の隣りで姫君はうっとりとした様子で月を眺めていた
この様は若君と姫君が知り合ってもう直ぐ1年という歳月が経とうとしているが
若君も姫君も世間の風習に疎く、3日通えば結婚したと世間一般に認められ
露顕(ところあらわし)を行い夫婦となるのが倣わしであるにも関わらず
それ以上の時を共に過ごそうとも、そのような雰囲気は微塵も感じられぬのであった
これに姫君付きの女房は「なんと嘆かわしい」と袂で涙を拭う真似をするも
当の若君たちが歯牙にも掛けぬのでどうしょうもなかった
しかし今ではそんな2人の逢瀬に微笑ましいと頬を緩める事もしばしば
うちの姫様には丁度良い速度かもしれないと若君の来訪を心待ちにしているのであった
そんな女房たちの心はいざ知らず、若君と姫君は今日も色気のない会話を繰り返すのです

「宮中の乞巧奠ってどんな事するの?」
「特に変わった事はしない。豊穣を願い、桃、茄子(なす)、熟瓜(うれうり)、鮑などを供え手習い向上を願い、五色の糸と布はもちろん、琵琶、笙(しょう)、硯、筆なども供える。あとは暇な奴らが梶の葉に古歌を書いたりして詠み合ったりしている事もある」
「ふーん。何かいっぱいお供えするんだねぇ」
「僕に言わせれば、存在すら不確かなものに祈る暇があるなら練習すれば良いと思うが」
「そんな身も蓋も無い」
「祈って上手くなるのなら誰も練習などしない」
「ま、そうだけど。ナルは出席するの?」
「無駄」
「........................」

宮中の行事を一刀両断に切って捨てた若君は再び手の中の書物に目を落とした
2人の言葉が切れたのを見計らったかのように御簾の外から女房の声が聞こえた

「失礼致します。法生様より姫様にと桃を頂戴致しましたのでお持ち致しました」
「ぼーさんから!?うわー、美味しそう♪」
「ふふ。乞巧奠のお供え物として御用意なさったらしいのですが量をお間違えになられたとかで、よく冷やしてお出しするようにと氷もご持参下さいましたので甘さが際立っているかと」
「ぼーさん?」
「滝川法生(たきがわのほうしょう)様は姫様の母君の従兄弟にあたる方で、姫様を実の娘のように可愛がって下さっており、時折こうして贈り物をして下さるのです」

耳慣れぬ単語に反応し小さく呟かれた若君に言葉を返したのは女房であった
姫君は差入れられた桃に夢中で若君の小さな声に気付かれる事はなかったのです

「法生様が姫様に贈られる品に万一にも手落ちはございませんので、どうぞ若君もお召し上がり下さいませ」

そんな姫君のご様子に深い笑みを浮かべながら若君に頭を下げると女房は部屋を辞した




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「滝川法生殿は確か、神祇官だったか?」
「うん、そうだよ。この春に、伯(かみつかさのかみ)の位を賜ったって言ってた」
「神祇官最高位か........そう易々と上がれる地位ではなかったと思うが」

姫君は「ぼーさんは特別!」と、微笑みながら話す
その事が、何故か気に障る若君ではありましたが、深く考える事を放棄して姫君に話の続きを求めます

「元々アタシのお爺ちゃん、ぼーさんにとっては伯父さんがその地位に居てね、そのお爺ちゃんが引退する時に、ぼーさんを跡継ぎにするって宣言したの。一番霊力が強かったからね。でも、ぼーさんは面倒臭いから嫌だとか言って、よく怒られてたんだ」
「本人が拒否しようとも周りが許さぬ程の能力者か........」

姫君の言葉に、先ほどまでとは違う意味で “ぼーさん” に興味を持たれた若君
幸か不幸か、ぼーさん本人は、その事実を知る事はなかった


「棚機(たなばた)つ女(め)は一年に一度しか逢えないのに寂しくなかったのかなぁ」
「逢えぬ日を思い嘆くよりも、逢える日を喜ぶ方が僕は建設的だと思うが」

桃の入った器を手にぽつりと呟かれる姫君
特に応えを求めていた訳ではないので返った言葉に驚いた顔で若君を見る
そんな姫君を特に気にするでもなく若君は「違うか」と素っ気なく訊ねる

「ううん、違わない..........逢える日があるのは幸せなことだよね」

若君の言葉を反芻し姫君は、ふわりと微笑み月を見上げた
その顔(かんばせ)はいつもより大人びており、まるで月の迎えを待つかぐや姫の様であった


「めぐりあいて みしやそれとも わかぬまに くもがくれにし よわのつきかな」

「.............そこまで馬鹿ではないらしいな」


月を見ていた姫君の口から零れた歌に若君は少しだけ目を見張った
そして口唇を引き上げて微かに笑むと歌を返した
それはまるで後朝に交わす歌のようであった


「ひとはいさ こころもしらず ふるさとは はなぞむかしの かににおいける」




end  





=== 小倉百人一首より ===

めぐりあいて みしやそれとも わかぬまに くもがくれにし よわのつきかな(紫式部)
※めぐりあって見たのは月かどうかもはっきりしないうちに雲にかくれてしまった夜中の月のように
 やっとお会いしたあなたはあっというまに帰ってしまわれた ゆっくりお話したいと思っていたのに
<勝手に意訳>
初めて逢った日、あなたがどういう人なのか判らないくらいの短い時間しか
一緒に居られなかった、もっとゆっくり話したかったのに

ひとはいさ こころもしらず ふるさとは はなぞむかしの かににおいける(紀貫之)
※あなたの心は、どうだか知らないが、むかしなじみのこの里の梅の花だけは
 むかしとかわりなく よいかおりで美しくさいている
<勝手に意訳>
お前の心の中は僕には判らないけれど、お前はまるで故郷の花のように咲き
僕にとってはよく馴染んだ存在となっている




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しんっと静まり返った朝。
いや、朝というにはまだ早すぎるかもしれない刻(とき)。
鳥のさえずりさえも聞こえない静かな時間が麻衣は好きだった。
太陽の光が降り注ぐ前の深い藍色の空。
魂が吸い込まれそうになる。
その静寂を脅かさない様、静かに息を吐けば、キンと冷えた空気の中に白い残像が浮かんでは消える。
やがて、東の空に一筋の光が産まれ、世界を優しく照らし出す。
チュンチュンと雀の鳴き声が聞こえたと思えば、遠くで車のエンジン音が聞こえる。

朝の陽の光と共に、世界が動き出した音が響く。


「きれい」


はーっと両手に息を吹きかけながら、ゆっくりと昇る朝陽を見る。
どれくらいそうして居ただろう?
指先が完全に冷えきっているから結構長かったのかもしれないが、背後から呆れを含んだ声が掛けられた。

「何をしている」
「あ、ナル。おはよう」

麻衣の答えが気に入らなかったらしいナルは眉を顰める。

「風邪を引きたいのかお前は」
「あたし丈夫だし」

にっこり微笑む麻衣に、諦めたのかナルは部屋の中に戻った。
そんなナルを追い掛けるでもなく、麻衣は再び朝陽に顔を向ける。
朝の音に耳を傾け、目を閉じていた麻衣の前にふわふわと湯気の上がる紅茶のカップが差出される。

「ナル?」

キョトンとした表情の麻衣に、ずいっとカップを差出す手。
その有無を言わせない行動と眉間の深い皺に、麻衣は笑った。
「ありがとう」とカップを受け取った麻衣の背後に立ったナルは優雅にカップを傾ける。
不器用だけど優しいこんな行動が見られるから、この癖は中々抜けそうにないと言ったらナルの眉間の皺はもっと深くなるのだろう。
その時の表情と溜め息を想像して、麻衣は再び笑う。




 

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「あと10分だね」

テレビを見ていた麻衣がポツリと呟く
今度は何だ一体?
そんな思いを込めて見やれば麻衣は、ぼーっと時計を見ていた
時刻は23時50分...........................あぁ、そう言えばもう直ぐ年が変わるな
ただそれだけの事だろうにとは思っても言葉には出さない
出せば色々面倒な事になるのは目に見えている

「今年も楽しかったねぇ」
「お前は騒がしかったな」
「誰かさんと比べたら大半の人は騒がしいですよーだ」

べーっと舌を出して僕を睨み付ける麻衣のデコを軽く弾けば「あぅ!」と大げさに叫んで額を抑える
かと思えばわざわざ僕の隣りまでやって来て肩に寄り掛かってくる
まったく忙しない奴だ

「えへへ」
「とうとう頭がおかしくなったか?」
「失礼な!!!」

本当に騒がしい

「良いじゃん..........たまには、ね?」

ふわりと浮かんだ麻衣の笑顔に勝手に身体が動いた



「ど、どうしたの?」

上擦った声が上がるがあえて無視をする
一体どうしたのか僕の方が聞きたいくらいなんだ
額へ、頬へ、そして瞼へ.................順に軽いキスを贈る
いつだったか片割れが言っていたな


額へのキスは友情のキス
頬へのキスは親愛のキス
瞼へのキスは憧憬のキス
唇へのキスは愛情のキス
手の甲へのキスは尊敬のキス
掌へのキスは懇願のキス
そして手首へのキスは欲望のキス


バカバカしい
そう切って捨てたはずの感情
なのに.................いつだってそうだ
僕の無いに等しい感情を動かすのはお前しか居ない
お前だけが僕を危うくする







新年を迎える前のほのぼのナル麻衣です。
ナルが偽物っぽいですが、どうかお気に為さらず(笑)
来年も皆様にとって良い年でありますように☆

拍手[7回]





「麻衣、お茶」

アナタのそのセリフが一番好きかもしれない
そう言ったらアナタは何て言うかな?
バカ?
変わった奴?
何も言わずに眉間に皺を寄せるだけ?
まぁ、誉めてなんてくれない事は判っているけど
そんなアナタを見ているだけで嬉しくなる
お手軽?
物好き?
溜め息を吐きながらも腕に凭れるアタシを突き放したりしない
そんなアナタが好き
今日もアナタの為に淹れましょう
ありったけの愛をこめて
美味しい紅茶



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